自己表現しつつ英語を勉強 Express Myself And Study English

ゲーム、プログラム技術、スッタニパータについて日本語と英語で書いていこうというブログ About games, programming, and Buddhism written in English and Japanese

なぜ文法や単語は分かってるのに英語がわからないのか

今回は英語指南記事を書こうと思います。いままで英語版も作ることを己に課して来ましたが、今回は内容的に英語版を作る意味がなさそうなのと、前回消耗しすぎて英語を書く気力が未だに戻ってこないので、英語版はなしでいきます。

This article is all about "how to improve your English skills." English version is not available because it would be useless.

私のTOEICスコアは970です。970は実際かなり中途半端な英語力です。その中途半端さは私の英作文からも確認できると思います。

英語力自体は中途半端なんですが、英語をどう学習するか、どう攻略していくかについてはいろいろ考えてきたことがありますので、折を見て披露していこうと思います。

まず最初は、「なぜ文法や単語は分かってるのに英語がわからないのか」です。これに関しては英語学習の過程でずいぶんいろいろ考えましたし、考えさせられました。

結論から言いますと、英語は「単語の意味を文法的に組み合わせて出来たメッセージを伝えるもの」ではないからです。私は単語の意味を文法的に組み合わせて英語を理解しようとしてきて、いろいろな困難にぶつかってきました。

私は理系で、物事を法則で理解しようとする傾向があります。なので文法法則に則って英語を理解しようとしました。これは実際無理がありました。

自然な英語はイディオマティック

英語として自然な表現は「イディオマティック(idiomatic)」と表現されます。辞書を見ると「慣用語法にかなった」「慣用的な」とあります。例文を見ると"He speaks idiomatic English.( 彼はいかにも英語らしい英語を話す)"とあり、idiomatic English で「英語らしい英語」を意味します。

イディオマティックの元になった単語はイディオム(idiom)で、これは「慣用語,熟語」という意味です。

慣用語、熟語とはどういうものかというと、日本語だと一石二鳥とか、猿も木から落ちる、といったフレーズが慣用句とか四文字熟語などと言われます。これらは、文法的に意味を解釈すると、「一つの石で二羽の鳥が捕れた(こりゃちょうどいい)」とか「猿のような木を登ることが得意な動物でも木から落ちることがある(気をつけよう)」といった感じで、意味がわかります。もともと慣用句というのは、使われているうちに言葉どおりの意味以外の意味をもつようになった言葉とされていますが、日本で慣用句とされているものはあまり言葉通りの意味から変わっていない、よく使われるたとえ話以上のものでないことが多いように思います。

英語の慣用句、イディオムを見てみます。私が英語のイディオムと聞いてまず思いつくのは"You can say that again"です。文法的に解釈したときの、言葉通りの意味は「君、それもう一度言っていいよ」ですが、実際の意味は「全くそのとおりだ」という深い同意を表す表現です。なので"You can say that again"と言われたときにもう一度同じことを言うと恥をかく可能性が高いです。

イディオマティックである、自然な英語であるという場合、文法や意味から外れた独自の意味をもっているような表現であることが多いです。たとえば、「始めよう」という時には"Let's start"よりも"Let's get started"ということが多いように思います。

get startedというのは受身形の一種で、「始めた状態になろう」といった感じだと思いますが、文法的に解釈するのは厳しいです。私が思うに、"Let's start"は文法的にも単語の意味的にも正しく、無味乾燥であまり面白みがないので、ちょっと捻ってピリリとした表現にしたかったのだと思います。それで"get started"としたら、「始めよう!」という気分にあった良い表現になったので広まったのではないでしょうか。

「あなたなぜここに来たの?」と言いたい時は、「Why are you here?」よりも「What brings you here?」がよく使われます。「何があなたをここに持ってきたの?」という言葉通りの意味からも、一応言いたいことはわからないでもないですが、なぜそんな表現をしなきゃいけないのかという疑問は残ります。これも共通してるのは、ちょっとひねることで、ピリッとした表現になっているなあという、英語らしい感覚です。また、"Why are you here?"だと「なんでここにいるんだ?」という、来て欲しくなさそうなニュアンスが出てしまうということですが、それを避けるためだとしてもなんでこんな表現になるのかは結局のところよく分かりません。

イディオムには意味が推測しやすいものと推測しにくいものがあり、推測しにくいものの代表として受験のときに覚えた"put up with(我慢する)"というのがあります。putとupとwithをどう組み合わせると我慢するになるのか、よく分かりません。こういった動詞、前置詞、副詞を組み合わせて作られたイディオムは特に「句動詞」と言われていて、他にもfind out とか go on とか fill in とか fill outとか無数にあります。

私は「put up withのような推測しにくい熟語は丸暗記して、そうじゃないものは推測すれば良いのだろう」と考えていました。受験英語の参考書にそう書いてあったからですが、いまではその考えは間違っていたと思っています。

全ての言語表現は慣用表現である

日本語でも英語でも、おそらくなんの言語でもそうだと思いますが、基本的に我々は誰かが使ったフレーズを組み合わせていいたいことを言っています。聞いたことがない表現を新しく作り出すことはほとんどないでしょう。

そのフレーズは文法的に正しいことも、間違っていることもあり、単語の意味もそのまま使っていたり、比喩的に使っていたり、なぜそうなるのか想像もつかない使われ方をされたりしています。日本語は比較的文法通りに解釈されやすく、英語はねじれた表現をされやすいという特徴はあると思います。

そしてどのようなフレーズであっても、それが使われてきた集積があり、それがフレーズの感触を形作っています。たとえば外国人の書いた日本語を見ると「文法的には正しくても、こんな言い方はしないな」ということはよくあり、自然な日本語かどうかというのは文法的に正しいかどうかではなく、そのフレーズがその局面で実際によく使われているかどうかによっています。

すべての自然な日本語は使われてきた集積からくる、独特の感じを持っていて、それは文法や単語の意味を超えたところにあります。それは英語も同じです。英語でも文法や単語を覚えただけで意味が分かるフレーズも多いですが、それだけではそのフレーズを十分に理解したとは言い難いです。そのフレーズが使われてきた集積と、そこから来る感覚を知らなければ、本当に言いたいことが分かっているとは言えないのではないかと思います。

たとえば英語でよく聞く表現に、"Are you thinking what I'm thinking?"というものがあります。現在進行系なので、「私が今考えていることを、あなたも考えていますか?」ということになり、つまり「私とあなたがいま考えていることは同じですか?」と言葉通りに理解できます。

英語のネイティブスピーカーであれば、この表現が使われてきた集積が頭の中にあるので、自分と相手が同じことを考えていそうな局面になったときに自然とこのフレーズが口をついて出てくるでしょう。しかし日本語だとどうでしょう。「いまお前、俺と同じこと考えてるんじゃないか?」と言われたら、なんか変な感じがするのではないでしょうか。

日本語だと、「同じことを考えているかどうか」を聞く習慣がありません。それは同じことを考えているかどうかを気にする発想がないということでもあります。なので「いまお前、俺と同じこと考えてるんじゃないか?」と言われたら「いきなり何を言ってるんだコイツ?」と感じるかもしれません。言葉というのは表面的な意味よりも、使われてきた集積の方により大きな意味があって、集積がなければ意味をどうとらえれば良いのかもよくわからなくなってしまうものです。

逆に例えば、「救急車呼んで!」と言われれば、救急車を探しておーいと声を掛けるという文字通りの意味ではなく、119番に電話して配車してもらうんだということが瞬時にわかるでしょう。より正確な表現として「救急隊員の人に救急車を運転してここまで来てもらって」と言われたら、おそらくそんな言い方をしているのは聞いたことがないので、何を言ってるのか混乱してしまうのではないでしょうか。

言葉通りの意味とは別の、使われてきた集積から生じる感覚は、言葉の本当の意味を理解するために大切なものです。英語のフレーズから生じているその感覚を、日本人である我々がどうやって感じ取ればいいのか、というのが問題になります。それには結局のところ、膨大な量の英語を読んだり聞いたりして、フレーズとそれが使われた局面を自分の中に蓄積していくことで、そのフレーズを感覚的に理解するしかありません。

文法や単語を知るというのは一部でしかなく、それが通用しない"イディオム"が数多く存在し、またイディオムではないにしても、多くの自然な英語はイディオマティックであり、言葉の表面だけではわからない独特の感触を持っています。その全てを感覚的に分からなければ、英語は本当には分かりません。

結局どうすればいいのか

もしあなたが単語や文法を勉強したのに英語がわからないんだとしたら、それは結局の所、その裏にある膨大な蓄積がないからです。なので出来るアドバイスがあるとすれば、まず第一は「蓄積しましょう」ということです。

しかし蓄積に必要な量が膨大すぎて気が遠くなってくるという人も多いのではないかと思います。私もその一人です。私もまた全く蓄積が足りておらず、その終わりのないマラソンのような道のりに怯える心が未だ残っています。

もっと手っ取り早い方法もあります。基本的に、イディオム以外であれば単語や文法がわかれば意味はわかるはずなので、意味がわからないフレーズがあったらコピペしてグーグルで検索します。私は日本のグーグル検索(google.co.jp)の言語を英語に設定して検索しているので、英語のイディオムもすんなり出てくる事が多いですが、検索結果が英語で出てくるので初心者には難しいところもあるかと思います。検索方法は好みで工夫してみてください。

検索すればイディオムの意味はだいたい出てきます。イディオムさえ分かれば、あとは分からない単語も検索して調べて、意味を文法的に解釈してやれば大体なんとかなると思います。といっても、英語表現の独特のねじれ方には、ある程度慣れる必要はあるでしょう。言葉通りの意味から少し飛ばして理解するという、なんとも言いがたい英語解釈のコツを掴まないと、英語の中にはイディオムに分類されてないけれど、すんなり理解できないねじれた表現が多いので、そこに対応できないことが多いのではないかと思います。まあ英語で検索すればイディオムに分類されないような変な表現の意味も大体出てくるので、それでなんとかなるかもしれません。