自己表現しつつ英語を勉強 Express Myself And Study English

ゲーム、プログラム技術、スッタニパータについて日本語と英語で書いていこうというブログ About games, programming, and Buddhism written in English and Japanese

頭を良くすることについての私見

勉強すると頭が良くなる、という書き込みを見かけたのでそれについて私見を述べたいと思います。

小泉進次郎構文的にいうと、頭がいいということは質の高い思考が出来るということであります。

この言い換えが通ったならば、ここから導けることがいくつかあります。

まず、学校の勉強では頭がよくはならないだろうということです。質の高い思考ができるようになりそうなことを学校で教わったことがあるでしょうか?

学校の勉強にも、質の高い思考をしないと解けない問題があり、それを解こうと努力する中で質の高い思考が出来るようになる場合もあるかと思いますが、基本的には思考の質を上げるよりも、解法を暗記する方が簡単に点数が取れるので、普通はそうするでしょう。

解法を覚えず、頑張って応用問題を解く人は、頭が良くなる可能性があると思います。解法を覚えなくても応用問題が解ける、もともと頭のいい人に限った話ではないかという気もしますが。

質の高い思考を身につけるにはどうすればいいのか、というのが問題になりますが、簡単なのは質の高い思考をしている人の思考法をコピーすることです。質の高い思考をする人は、本を書いて思考を赤裸々に公開していることが多いので、そういう人の本を読んで理解し、そのスタイルで物事を考えると簡単に思考の質は上がるでしょう。

脳は使えば使うほど使った回路が強化されていくものなので、質の高い思考をすればするほど質の高い思考ができるようになると思います。逆に質の低い思考をしてしまうと、頭は悪くなっていくでしょう。

質の高い思考をする人の思考を学び、どういう思考が質が高いのかという基準を自分の中に作って、自分で自分の思考をチェックし、思考の質を高めていく努力をするべきだと思います。

それは言い換えると、「何が質の高い思考なのか」を決めるのは自分自身だということです。つまり頭がいいかどうかを決めるのは自分であり、自分が自分のことを頭がいいと思っていても、他人からは馬鹿だと思われるというのは、本質的にそういうものなので仕方ないでしょう。

我々は同じ人間であったり、同じ国に生まれ育ったりしているので、似たような感性を持っている可能性がけっこうあり、大体の人から認められる思考の質の高さというのはあると思います。しかしそれも主観的な評価でしかなく、時代が変わればクレイジーで馬鹿げた考えだと言われることもあるでしょう。

思考の質が高いかどうかを客観的に判定出来るものはいくつかあると思います。解法を知らない応用問題が解けるかどうか、でもいいですし、数学の証明であれば、証明できていればその数学的思考が正しかったと認められるでしょう。プログラミングであれば、実行速度や思ったとおりの動きをしていてバグがないかといったところで判定できると思います。

客観的な基準をもった思考の中で一番簡単なのはプログラミングだと思います。数学だと証明が出来ているかどうかは高度に数学を理解してないとわかりませんし、「解法を知らないまま応用問題を解き続ける」というのもハードルが高い。

ちゃんとプログラムが動くような思考が質の高い思考であり、思考過程を書いたものがソースコードになります。思考の質を上げるための努力というのも、ソースコードを書いていれば勝手に身についていくので簡単です。

実際はプログラミングでもいちばん大切なのはソースコードが読みやすく、わかりやすく書けているかどうかで、それは個々人の美的感覚によるところが大きいのですが・・・

プログラミングによって身についた客観的な質の高さというのは、「コンピュータにとって」質が高いということです。コンピュータがミスなく高速に動くことによって、自分の思考の質の高さは証明されます。

しかしコンピュータでない一般の人から見れば「こいつの思考法はなんだか気持ち悪いぞ」「なんでそんな考え方をするんだ、頭がおかしいのではないか」と思われることも多いと思います。だからそれも万人に認められる頭の良さでないことは間違いないでしょう。

頭の良さで万人に認められるのはそもそも無理だと思います。だから「頭が良くなるにはどうしたらいいのか」という問いには「自分の信じる頭の良さを見つけてそれに近づけるように努力すればよい」という答えになると思います。それでみんなから頭が良いと思ってもらえるかは別問題ですけれども。